乾き亭げそ太郎のWiki風プロフィール!志村けん・愛弟子 初告白

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志村けん・愛弟子 乾き亭げそ太郎が初告白 志村けんがファミレスで激怒「お前、ナメてんのか!」
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志村けん・愛弟子 初告白が注目されています。
 

志村けんさんの愛弟子の乾き亭げそ太郎
志村けんが亡くなられてから

なかなか気持ちの整理がつかずに
断っていた取材に応じて

志村けんさんとの思い出話を初告白したことが
話題になっています。
 
 
ネットの意見では「感動した」
「いい記事を久しぶりに見た」など
記事を肯定する意見が多数出ています。
 
 
『ダメだ。お前、この3年の間に
何もやってないじゃないか。

 
環境を変えたら自分ができると
思っているかもしれないけど、
やる人はどの環境にいても絶対にやるからな。

 

この志村けんさんのお言葉には
私も胸を強く打たれました!

 
 
この記事では、
志村けん・愛弟子 乾き亭げそ太郎が初告白
志村けんがファミレスで激怒
「お前、ナメてんのか!」について、
公開されている情報やネットでの世間の反響など
まとめて紹介していきます。
 
 

志村けん・愛弟子 乾き亭げそ太郎が初告白
事情を知りたいという方は、
最後まで読んでみて下さい。
 
 
それではまず、
乾き亭げそ太郎
Wiki風プロフィールの情報からまとめていきます。
 
 

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乾き亭げそ太郎のWiki風プロフィール

 
志村けんに弟子入りした後、芸能活動を開始。
『志村けんのバカ殿様』の
「メガネをかけた家来」役で知られる。

竜兵会」の一員でもある。
 
趣味は洋菓子作り。
仕事場などで後輩に振る舞うほどの腕前。
 
 

 
 


 
名前:乾き亭 げそ太郎
本名:櫨木 信一(はぜき しんいち)
生年月日:1971年1月19日 (49歳)
出身地:鹿児島県鹿児島市
血液型:B型
身長:174cm

師匠:志村けん
コンビ名:いちばんのり!
相方:かねきよ勝則(コンビ時代)

現在の代表番組:かごニュー

過去の代表番組:志村けんのバカ殿様
 
 
「乾き亭げそ太郎」を命名したのは
所属事務所の先輩である肥後克広と有吉弘行
 
 
エピソードとして、
2007年1月放送の『バカ殿様』で
ゲストに笑福亭鶴瓶が登場したときに
 
 
志村けんさんとプライベートのことでやりあった際に
鶴瓶に「こいつがすべてを知っている」
指を差される場面がありました
 
 
志村けんさんの弟子を辞めてからは
太田プロに所属していましたが
2016年3月31日を以て
15年間所属した太田プロを退社した
 
 
乾き亭げそ太郎
2010年をもって、ふるさとの鹿児島を
当面の拠点とすることを決めて鹿児島に帰郷
 
 
現在は鹿児島でタレント活動を行っている
 
 
一時は志村けんさんの番組や舞台出演のために上京して
東京などでも仕事をしていました。
 
 
志村けんの「バカ殿様」を見ていた人なら
メガネをかけた家来は何度も見ています。
 
 
芸名は知らなかったという人も多い。
 
 
バカ殿様(志村けん、加藤茶)
 

出典元: 引用 YouTube
 
 
 

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志村けん・愛弟子 初告白
乾き亭げそ太郎のプロフィール

 
 

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「お前、ナメてんのか!」志村けんがファミレスで激怒した
「忘れられないあの事件」愛弟子が初告白

 
 
 
志村けん・愛弟子 初告白の
詳しい記事はこちら

 
 

「他の人が知らない志村さんを僕はたくさん知っています。
すごく大切なものを教えていただき、
弟子のときは一緒にいることが当たり前でしたが、
離れてより志村さんの存在の大きさがわかります。
志村さんと一緒にいられた時間は
贅沢で本当に夢のようでした……」
 
 
【画像】志村けんに説教されている弟子を撮った貴重な1枚
 
 
そう語るのは、3月29日に新型コロナウイルスによる
肺炎で亡くなった志村けん(享年70)の弟子で、
現在は故郷の鹿児島でタレントや、
ご当地レポーターとして活躍する
乾き亭げそ太郎氏(49)。
 
 
「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ系)では
メガネをかけた家来として出演。
 
 
90年代に「ドリフ大爆笑」や
「志村けんのだいじょうぶだぁ」
(ともにフジテレビ系)など多忙を極めた志村と7年間、
365日ずっと傍らにいたのがげそ太郎氏だった。
 
 
師匠の突然の訃報を受け入れられず、
一度は取材を断られたが、
「志村さんの芸に対する思いを
少しでも皆さんに伝えられたら」と、

「文春オンライン」にこれまで語られることのなかった
“師匠・志村けん”の横顔を明かしてくれた。

出典:Yahoo!ニュース

 
 
 

志村けん・愛弟子 乾き亭げそ太郎が初告白
志村けんがファミレスで激怒「お前、ナメてんのか!」
「師匠と呼ばれるのは恥ずかしいから
『さん』付けで」

 

げそ太郎氏が師匠・志村との出会いを振り返る。
 
 
「子どもの頃からドリフターズの
志村さんが大好きで、94年11月、
23歳のときに芸人になりたいと思って
鹿児島から上京しました。
 
 
志村さんの番組を観ていたら
いつも番組のエンドロールに『イザワオフィス』と
書いてあったので、事務所に行けば
志村さんに会えるかもしれないと思って、
なんの連絡もせずに事務所を訪ねました。
 
 
そしたら、ちょうど志村さんの
運転手を募集していて、
面接を受けたら合格したんです」
 
 
げそ太郎氏が初めて志村と顔を
合わせたのはその1週間後。
 
 
麻布十番にある志村の行きつけの喫茶店だった。
 
 
「緊張してあまり記憶がないのですが、
志村さんに『芸人を目指してオレのところに来ても、
教えることはないぞ』と言われました。
 
 
そのときに僕が
『これからは志村さんのことを師匠と呼んでいいですか?』
と聞いたら、『芸人たちはオレを師匠と呼んでいるけど、
自分の弟子から師匠と呼ばれるのは恥ずかしいから
「さん」付けでいいから』と言われました。
 
 
なので、僕は志村さんのことを一度も
“師匠”と呼んだことはなく、今でも
“志村さん”と呼ばせていただいています」

出典:Yahoo!ニュース

 
 
 

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志村けん・愛弟子 乾き亭げそ太郎が初告白
志村けんがファミレスで激怒「お前、ナメてんのか!」
慣れないリムジンで恐る恐る運転したら……

 

弟子の主な仕事は運転手。
 
 
志村の自宅近くに家賃4万円のアパートを借り、
1000万円以上する高級外国車リムジンで
志村宅を訪れ、仕事場から自宅まで
送迎するのが日課だった。
 
 
車中での志村はビートルズや吉幾三、
吉田拓郎の曲を好んで聴いていたという。
 
 
「田舎から出てきて急に高級車なんて初めてですし、
左ハンドルも経験がありませんでしたので、
もう怖くて仕方なかったですね。
 
 
恐る恐る運転して、心配になって
後部座席に乗る志村さんをバックミラーで見たら、
信号待ちで車が止まる度に
通行人にお辞儀をしているんです。
 
 
そんなことが何日か続き、
僕が『志村さんは凄いですね。
信号待ちする度に通行人に頭を下げているので、
びっくりしました』と話したら、

『違うよ! お前がブレーキを
いつも強く踏むから頭が前に倒れるんだよ』と、
笑いながらツッコまれました」

出典:Yahoo!ニュース

 
 
 

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志村けん・愛弟子 初告白
乾き亭げそ太郎のWiki風プロフィール
やってしまった「リムジン擦り傷事件」

 

弟子の休日は自宅で
ポケベルを握りしめての自宅待機。
 
 
志村が休みの日でも、
飲みに出かけるときの送迎は弟子の仕事だった。
 
 
リムジンを運転してから3カ月経った夜、
げそ太郎氏は師匠を送った後、
車に擦りキズを付けてしまった。
 
 
「志村さんの乗り降りするドアの辺りに
大きなキズを付けてしまい、
顔面蒼白になりました。
 
 
その日は志村さんがお気に入りの女性とのお食事で、
悩みましたが、正直に言うなら今日しかないと思い、
飲んで機嫌よく女性と戻って来たときに

『志村さん、すみません。擦ってしまいました』
と謝ったら『おお、まあ仕方ねえなあ』の
一言だけでなんとか怒られずにすみました。
 
 
運転手の仕事で一番大変だったのは、
飲んでいるときの待ち時間です。
 
 
ある日、志村さんを夕方くらいに
飲み会の場に送ったのですが、
10時間経っても出て来ない。
 
 
“志村さん、もうタクシーで帰っちゃったのかな”
と不安になっていると、
車に戻って来たのが17時間後の
翌朝10時というのが最高記録でした。
 
 
どうやら酔って途中で寝てしまったそうです」

出典:Yahoo!ニュース

 
 
 

志村けん・愛弟子 初告白
乾き亭げそ太郎のWiki風プロフィール
寿司にスッポン、フカヒレ……

 

当時の月給は12万円。
 
 
それでもげそ太郎氏は、
志村に対して「感謝」の気持ちしかなかったと語る。
 
 
「365日、ずっと志村さんと一緒だったので、
家賃以外にお金を使うことがありませんでした。
 
 
志村さんが飲みに行ったり、
誰かとご飯を食べるときは、
必ず『これで何か食べろ』と
1万円を手渡してくれました。
 
 
僕も弟子という身分でお金を
稼ごうとは思ってもいなかったので、
毎回ご飯代もいただいて、
申し訳ない気持ちでしたね。
 
 
今でも感謝しているのは、
初めて食べるあらゆる高級な料理は
すべて志村さんに連れていってもらった。
 
 
スッポンにカウンターのお寿司、
フカヒレなど数え始めたらきりがありません」

出典:Yahoo!ニュース

 
 
 

志村けん・愛弟子 初告白
「何で弟子のお前がやるんだ。
調子に乗ってんのか」

 

皆に笑いを届ける国民的コメディアン・志村。
 
 
一方で、弟子に見せる“師匠の顔”は厳しかった。
 
 
「現場で志村さんから
目を離したときはよく叱られました。
 
 
志村さんがタバコを吸いたいときに
用意が遅れたり、汗をかいたときに
タオルの準備ができていないと、
 
 
『オレが今、何を思って、何を考えているか読めよ。
 
 
芸人は目の前の1人の気持ちを分からなくて、
テレビの向こう側にいる何百万、何千万人の
視聴者の気持ちがわかるわけないだろう』と
注意されました。
 
 
また、志村さんがもっとも嫌うのが遅刻です。
 
 
ある日、僕が一度だけ大幅に
遅刻してしまったことがありました。
 
 
収録終わりの深夜3時のファミレスで志村さんに
『お前、ナメてんのか! 
 
 
オレは1日がマイナスからの
スタートになるから遅刻は嫌なんだ。
 
 
“すみません”のマイナスからの
スタートになることを何で弟子のお前がやるんだ。
調子に乗ってんのか』と、
 
 
朝の7時まで説教を受け、
本当に申し訳ないと思いました」

出典:Yahoo!ニュース

 
 
 

志村けん・愛弟子 初告白
弟子になって3年、
弟子を辞める決意を告げると……

 

弟子になって3年。四六時中、志村を支え続け、
ネタを考える時間が欲しいと考えた
げそ太郎氏は弟子を辞めることを決意。
 
 
志村にそのことを告げると、一喝された。
 
 
「『弟子を辞めさせてください』と
お話ししたときに志村さんに怒られたんです。
 
 
『ダメだ。お前、この3年の間に
何もやってないじゃないか。
 
 
環境を変えたら自分ができると
思っているかもしれないけど、
やる人はどの環境にいても絶対にやるからな。
 
 
俺もドリフターズに坊や(付き人)で
付いていたときに、
坊やの仕事をしながら
メンバーやスタッフを笑わせていた。
 
 
与えられた環境で何もしていないお前は
他へ行っても何もできない』と言われました」
 
 
志村は一度、ドリフターズの付き人を辞めて、
バーテンダーなどをした過去があった。
 
 
1年半後に付き人に復帰し、
お笑いコンビ「マックボンボン」での活動を経て、
ドリフターズの一員となった。
 
 
げそ太郎氏は、それを機に
毎週ある志村の番組会議にネタを出すようになった。
 
 
「僕の出すネタは当然、
会議では箸にも棒にも掛からないんですけど、
ある時、家族コントが1本通ったんです。
 
 
それから2本、3本と少しネタが通ると、
志村さんから『メシ食いにいくか?』と
声を掛けてもらって、

『お前はやればできるんだから、
芸人としてがんばれよ』と
照れ屋の志村さんが初めて褒めてくれました。
 
 
97年に、ディレクターさんが
志村さんに『こいつがんばっているので、
バカ殿の家来にも使ってみませんか』と助言してくれて、

『バカ殿様』への出演が決まり、
志村さんと念願の共演ができました。
 
 
心の底からうれしかったですね」

出典:Yahoo!ニュース

 
 
 

志村けん・愛弟子 初告白
志村さんがコントで大切にしていたのは
「内面のリアリティ」

 

当初、「芸は教えられない」と
弟子を突き放した志村だったが、
げそ太郎氏は多くの芸を師匠から教わっていた。
 
 
「志村さんがコントで大切にしていたのは、
リアリティでした。
 
 
『コントの入りが“そんなこと現実にないよ”と
最初に視聴者に思わせてしまうと、
見ている人は入り込めない。
 
 
最初は現実的な日常じゃないといけない。
 
 
そこからどんどん進んでいって、
最後はもうリアルじゃなくても
関係なくなるんだから』と。
 
 
そしてコントで演じるときは、
演技の前段階をよく考えろと
口酸っぱく言われました。
 
 
例えば、志村さんが酔っぱらいの役をやるときに
『オレはいつも演じる酔っぱらいが、
うれしくて飲んでいるのか、
悲しくて飲んでいるのか、
怒って飲んでいるのかを考えてやっている。
 
 
それによって演技やセリフも大きく変わってくる。
 
 
演技の前の気持ちを作って、
セリフを言わないとダメだ』と
丁寧に教えていただきました」

出典:Yahoo!ニュース

 
 
 

志村けん・愛弟子 初告白
げそ太郎氏から見れば
「健康オタク」だった志村

 

時には女性を口説く技も伝授されたという。
 
 
「志村さんから階段をのぼる時の上手なコケ方の
レクチャーを受けました。
 
 
これは志村さんが若い頃にアパートの2階に住んでいて、
好きな女の子に見てほしくて、
志村さんが全部の階段をつまずいて転んで見せたら、
女の子が大笑いしたという話を僕にしてくれました。
 
 
僕も同じように階段をコケてみせたんですけど、
女の子に『何しているの?』と聞かれ、
見事にスベリました」
 
 
志村と言えば、毎晩のガールズバー巡りと
1日タバコ3箱の不摂生が代名詞でもあったが、
げそ太郎氏は「健康オタク」だったと証言する。
 
 
「豪快にお酒を飲んでタバコを
吸うという印象があると思いますが、
志村さんはお酒を美味しく飲むために
康にはすごく気を遣っていました。
 
 
肝臓の数値がよくなかったりして、
主治医の先生に朝はイワシを
食べるようにと言われると、
毎朝イワシを食べ続けていました。
 
 
先生に少しお酒を控えなさいと言われると
約束をしっかり守って本当に控えるんです。
 
 
きな粉豆乳が身体にいいとわかると
毎日飲んだり、人に勧めたりもしていました」

出典:Yahoo!ニュース
 

 
 
 

志村けん・愛弟子 初告白
いまでも後悔している「写真」のこと

 

01年、げそ太郎氏は
「このままでは志村さんをずっと頼ってしまう」と、
弟子からの卒業を決断し、

志村から「がんばって来いよ」と背中を押され、
約7年間の弟子生活を終えた。
 
 
げそ太郎氏はダチョウ倶楽部がいる
太田プロに所属することが決まり(16年に退社)、

その後も志村は特番や舞台がある度に
げそ太郎氏に声を掛け、弟子の成長を見守ってきた。
 
 
げそ太郎氏が最後に志村と会ったのは
昨年7月だったという。
 
 
「志村さんの元を離れて11年に鹿児島へ戻り、
昨年、初めて客席で志村さんの舞台を観たんです。
 
 
観劇後に楽屋へ挨拶に行ったら、
志村さんが『おっ、来たか』って
僕に微笑んでくれたんです……。
 
 
今までは『おう』くらいで
笑顔なんてなかったのに、うれしかったです。
 
 
事務所の方に『2人でお写真でもどうですか』と
言っていただいたんですけど、
志村さんはシャイで写真が
苦手だということを知っていたので、
僕は遠慮しました。
 
 
結局、それが最後になってしまい、
今は写真を撮らなかったことを後悔しています。
 
 
僕は志村さんみたいになりたくて、
26年前に志村さんの元へ行きました。
 
 
『ありがとうございました』というのは
終わりみたいで嫌なんですけど、
志村さんの技術は引き継げなくても、

志村さんの仕事に対する思いだったり、
お客さんに対する思いは
僕にも引き継げると思うんです。
 
 
これからは教えていただいたことを大事にして
“志村けんの弟子はいいよ”と
思われるようにしたいです。
 
 
どれだけできるかはわからないですけど、
がんばってみますという気持ちです。
志村さんに恥をかかせるわけにはいきません」
 
 
笑ってそう話したげそ太郎氏の左右の目からは、
大粒の涙がこぼれていた。

出典:Yahoo!ニュース

 
 
 

志村けん・愛弟子 乾き亭げそ太郎が初告白
志村けんがファミレスで激怒
「お前、ナメてんのか!」
ネットでの世間の反響は

 
志村けん・愛弟子 初告白について
ネットでは様々な意見が飛び交っています。
 

志村さんの人柄がわかる記事。
厳しかったがそれが優しさだと
伝わりますね。

教えて貰ったこと勉強になったこと
たくさんあって今の自分がいらっしゃるですね。

 

厳しさもあるけど、きちんと理由があるし、
正直に謝れば高級車傷つけても許してくれる。

面倒見の良い、素晴らしい師匠。
ドリフの付き人時代に、いろいろ学んで
基礎が培われたんだろうな。

 

近くで見てきた人だからこそ
わかる事が多かったんですね。

芸には本当に厳しく、
真面目に演じて妥協していなかったのがわかります。

 

なんか久々にいい記事を読んだ気がします。

内容もきちんとしているし長さも凄く良い。

もっと読んでみたいなと
思わせる良い記事でした。

 

志村ってほんとに性格いいんだなー。
リムジン傷つけてもいいけど遅刻は許さない。
これはすごい。
急ブレーキも聞かれるまで注意しない。

あと酔っぱらいの演技に対する考え方はすごい。
主演映画、観たかったなあ、、

 

いい話でした。
弟子だけが知る話で売込みだからもなく、
本当に志村けんさんを
慕っていたのが分かりますね。

特に志村さんのこの言葉は、
彼でなくても心に響きますね。

>『ダメだ。お前、この3年の間に
何もやってないじゃないか。
環境を変えたら自分ができると
思っているかもしれないけど、
やる人はどの環境にいても絶対にやるからな。

 

普通だったら田舎から出てきた若者に
リムジンの運転手はさせないでしょうね。

どこか人柄が気に入ったんでしょう。

再会の写真…心残りでしょうが
志村さんとの思い出は他の人には
経験できない時間、大切にしていただきたい。

 

厳しさの中にも優しさがある
後輩に慕われる理由が分かります。

やはり志村さんは素敵な人ですね。

 

与えられた環境で何もしていないお前は
他へ行っても何もできない

ええ事言うなぁ
それに応えてネタ通すようになったこの人も
いいねぇ師弟っていいねぇ

 

泣かせるコメントありがとうございます。

自分も違うかたちで厳しい人に
教わった時も遅刻はしないと
あいさつは必ずするそこから入りました。

仕事に対する姿勢は始まる10分前には
仕事場に来て準備する事チャイムがなって
仕事していたら今日一日の仕事が
順調にいかなかったら駄目と思いいつも
仕事は早めに行きます。

出典:https://headlines.yahoo.co.jp/cm/articlemain?d=20200411-00037114-bunshun-ent

 
 
 

志村けん・愛弟子 初告白
乾き亭げそ太郎のWiki風プロフィール
まとめ

 

  • 志村けんさんの愛弟子の「乾き亭げそ太郎」が
    志村けんさんとの思い出話を初告白しました。
  •  

  • 乾き亭げそ太郎のWiki風プロフィール

 
 
 

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