シャネル・スキャパレリのプロフィール!ドキュランドへようこそ!
こんにちは~。セールスアドバイザーのTAKAです。
ドキュランドへ ようこそ!・選「シャネルvsスキャパレリ」
放送日:1月25日(金) 22:00〜22:50
20世紀のファッション界に革命を起こした2人のフランス人女性がいる。
ココ・シャネルとエルザ・スキャパレリだ。
この2人のフランス人女性は、
全く対照的で、2人が激しく火花を散らした時代を描く。
番組内容
シャネルはスポーティでシンプルなスーツで女性を解放した。
育ちは、孤児院と修道院で、お針子から成り上がった人物である。
スキャパレリは裕福な家庭に育ち、芸術家のダリやコクトーともコラボしていた。
斬新な色使いで、ショッキングピンクに代表される色と
前衛的なデザインで一世を風靡(ふうび)した。
性格も生い立ちもまったく異なる2人の女性がファッション界を大きく変えた。
ココ・シャネルとエルザ・スキャパレリの
20世紀という時代の背景を交えて鮮やかに描く。
制作
~2014年 フランス MA DROGUE A MOI制作~
ドキュランドへ ようこそ! – NHK
出典元: 引用 ドキュランドへ ようこそ! – NHK
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ココ・シャネルとは
日本で一般的に有名なのは、ココ・シャネルですね。
私がはじめてシャネルの名前を聞いたのは、
元プロレスラーのアントニオ猪木さんが使ってた香水 が
シャネルの5番だったことからシャネルを知りました。
ブランドバックではなくて、最初は香水で知りました。
日本のブランドで、高級ラグジュアリーブランドとして、「CHANEL(シャネル)」を
知らない人はいないと言っても過言ではないです。
超有名ブランドの「CHANEL(シャネル)」は、
他の高級ブランドは、もともと王室御用達などであったのに対して、
孤児院出身の「ココ・シャネル」が1代で高級ブランドの地位を築き上げている。
その道のりは映画になったり、数多くの書籍で取り上げられたりするなど、
とても波乱万丈なものです。
CHANEL(シャネル)の歴史
「CHANEL(シャネル)」の始まりは1919年にパリにオープンした1軒の帽子屋でした。
その帽子屋は「シャネル・モード」です。
ここで扱われるデザイン性の高いシンプルで帽子は大人気を得て、
1915年にビアリッツにクチュールハウスをオープン、
その5年後にはパリにもクチュールハウスをオープンして、
このころから帽子から洋服へと徐々に規模を拡大させていった。
有名なシャネルの香水 「オードゥ・パルファムNo.5」は1921年に誕生しています。
この香水は世界的ベストセラーにもなり、多くの女性たちの憧れの的になりました。
元プロレスラーのアントニオ猪木さんが愛用されてるのは有名です。
マリリン・モンローのエピソードとして
記者に「寝る時に身につけるものは?」と質問され、「No.5を数滴」と答えたのは、
誰もが聞いたことがあります。
シャネルの香水会社を1924年にはを立ち上げるまでにもなっている。
ところが、第2次世界大戦が始まると香水とアクセサリーの店舗を残し、
ブティックは閉鎖に追い込まれまれ、さらに色々な事情により、
ココ・シャネルはフランス国民からの非難を受けることになり、
国内にいることができなくなり、スイスでの亡命生活を余儀なくされた。
1954年に第2次世界大戦が終わるとパリのブティックを再開して、
翌年にはシャネル・スーツを発表しモード・オスカーを受賞した。
モード・オスカーを受賞したころから少かつての栄光を取り戻していった。
その後名作である、チェーンベルトバッグやバイカラーシューズなど、
現在まで受け継がれる世に輩出し、1971年に87歳でこの世を去りました。
ココ・シャネル没後はシャネルの低迷期を迎えることとなった。
しかしカール・ラガーフェルドが
1983年にアーティスティック・ディレクターに就任し
デザイナーにつくことにより、シャネルは低迷期を抜け出して、
再び輝きを取り戻し現在のシャネルに繋がっていった。
ココ・シャネルのブランドロゴ「CCマーク」
シャネルと言えばブランドロゴです。
アルファベットのCが重なり合ったマークはあまりにも有名です。
一目見ただけで誰もがシャネルだと分かる、
シンプルながらもインパクトのあるデザインとなっていて、
ココ・シャネルのイニシャルから取ったとも言われています。
ココ・シャネル – Wikipedia
出典元: 引用 Wikipedia
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エルザ・スキャパレリとは
エルザ・スキャパレリといえば有名なのが、
「ショッキング・ピンクを生んだ女」です。
エルザ・スキャパレリは、少女のころからとても特異な才能の持ち主でした。
ココ・シャネルはエルザ・スキャパレリの7歳年上だが、
同時代のデザイナーで一番嫉妬して、一番ライバル視した
といわれている。
素っ頓狂なのに繊細で、とびきりシュールなのにハイパーロマンチック、
ようするに大胆かつエレガントなのだ。
シャネル・ブランドはシャネル亡きあとも
カール・ラガーフェルドがデザイナーになり、維持発展させて今日に至っているが、
エルザ・スキャパレリのブランドは香水と小物がライセンスとして残っただけだった。
そのせいなのか、スキャパレリの一世を風靡したぶっちぎり感覚と
比類のないアートセンスとハイブローな人生はすっかり忘れられていて、
日本のお粗末なファッション史では数行ふれられてきた程度か、
その記述すら省かれてた。
スキャパレリやその背後にいたポール・ポワレの周辺のことがわからないでは、
ヨーロッパ・ファッションの事はは語れないのである。
1927年にスキャパレリはパリのウニベルシテ20番地にブティックを開店し、
「ディスプレイNo1」を発表した。
ヴァンドール広場でメゾンを設けてから50年代半ばまで、
世界で最も異色で尖がったデザイナーであり、
クチュリエであり、またアーティストだったのだ。
スキャパレリは1973年に亡くなった。
翌年の1974年に「ヴォーグ」の名編集長だったダイアナ・ヴリーランドは
「Inventive Clothes 1909-1939」をメトロポリタン美術館に展覧して、
スキャパレリの作品を展示しました。
この様子はアーヴィング・ペンによる写真集となって1977年に刊行されている。
1920年代-1930年代にかけて、女性のファッションに新風を吹き込み、
現代に続く流れを作った功績は大きい。
しかし、ライバルのシャネルに比べて知名度は低く 、
その業績もファッション業界でも長く埋もれていた。
しかし、近年見直しが進み、2013年には彼女の名前を冠したブランドが再スタートした。
彼女のメゾンで修行したピエール・カルダン、ユベール・ジバンシィは
世界的に有名なファッションデザイナーとなった。
エルザ・スキャパレッリ – Wikipedia
出典元: 引用 Wikipedia
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