サッカー日本代表の歴史やサッカーの起源とルールや戦術など!
サッカー日本代表の歴史
サッカーはアメリカではサッカー(soccer)
イギリスではフットボール(football)と呼ばれる。
日本では平安時代に貴族の間で蹴鞠(けまり)という遊びが盛んであった。
サッカーの起源は19世紀のイングランドである。
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サッカーの日本代表の歴史
FIFAワールドカップには6度出場しており、
最高成績はベスト16、
AFCアジアカップでは史上最多の4度の優勝を記録している。
日本サッカー協会は1921年9月10日に設立され、
1921年5月17日の第18回FIFAバルセロナ総会で
国際サッカー連盟(FIFA)加盟が承認された。
最初の国際試合は1917年に開催された
第3回極東選手権競技大会の中華民国(現在の中国)戦で
日本代表は0-5で敗れた。
2試合目のフィリピン戦では
藤井春吉が日本代表初得点を含む2点を決めたが2-15と大敗した。
これは2019年現在も日本代表における最大差敗戦試合である。
1927年の第8回極東選手権競技大会には
早稲田WMWが日本代表として出場し
フィリピンを2-1でやぶって国際試合初勝利をあげた。
1930年の第9回極東選手権競技大会には
単独チームではなく東京帝国大学(現在の東京大学)主体ではあったが
初めての全日本選抜が結成された。
日本は中華民国と同位優勝し、
国際大会における初のタイトルを獲得 した。
1930年の第一回ワールドカップウルグアイ大会開催にあたり、
FIFAは加盟国に招待状を送ったものの、
日本サッカー協会はワールドカップ参加を見送った。
その理由は当時の日本国内が1927年の
昭和金融恐慌以来の慢性的な不況であったため、
同年の昭和恐慌発生でさらに経済状態が悪化していたため、
そして日本サッカー協会も財政難だったためである。
1936年のベルリンオリンピックでは
早稲田大学ア式蹴球部主体の選抜チームの
全日本が1回戦でスウェーデンを破った(ベルリンの奇跡)
オリンピック後の8月19日に行われた
グラスホッパークラブチューリッヒとの試合では
1-16で大敗した記録が残っている。
1938年FIFAワールドカップ予選にエントリーし
オランダ領東インドに勝てば
本大会出場が決まるはずだったが情勢不安により参加を辞めた。
1913年から開催され、
サッカー日本代表も1917年の第3回大会から参加した
極東選手権競技大会は大会を主催する極東体育協会に
満州国を参加させようとした日本と拒否する
中華民国の対立により1934年の第10回大会を最後に幕をとじた。
そのため日本は新たに東洋体育協会を設立し
東洋選手権競技大会を開催しようとしたが
各国の思惑等により進展せず
1937年の日中戦争開戦によりご破算となった。
その後は1939年に開催された日満華交歓競技大会や開催権を返上した
東京オリンピックにかわり開催された
東亜競技大会で実施されたサッカー選手権に日本代表も参加している。
1954年FIFAワールドカップ予選でワールドカップ予選に初めての参加となった。
なお韓国代表との試合は2試合とも東京で開催された。
日本は2戦2敗となり出場を逃した。
FIFAワールドカップには1998年から出場した。
初出場となったこの大会はグループリーグで
アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカに全敗し
グループリーグ最下位で大会から姿を消した。
なおジャマイカ戦で中山雅史選手がワールドカップ初得点を決めた。
2002年大会は開催国のため予選免除で出場となった。
サッカーベルギー代表戦を引き分けると
ロシア戦で初勝利 をあげた。
その後のチュニジア戦も勝利し
決勝トーナメント進出を決めた。
続くトルコ戦には敗れたもののベスト16の成績を残した。
出典:https://ninomaru-japan.up.n.seesaa.net/ninomaru-japan/image/o0500033912004396120.jpg?d=a1
サッカーのルール
サッカーの基本的なルールは、
1チームは11人 。
最低7人いれば試合を行う事ができる。
少人数制のルールもある。
2チームが敵味方となり、
1個のボールを主に足、頭や背中などを使ってゴールに運ぶ。
相手のゴールにボールを入れると自分のチームに1点が加算される。
試合は制限時間の満了によって終了し
時間内により多くの得点を記録したチームが勝者となる。
各チームには1人だけゴールキーパー(GK)という
ゴールを守る特別な役割のプレイヤーを配置することが定められている
イングランドのパブリックスクールで
はじめられたサッカーはイギリスの各地域に広まっていった。
19世紀後半にヨーロッパや南米に伝播していった。
19世紀後半のプレースタイルは
イングランドはロングボール戦法
スコットランドはショートパス戦法であり
この戦法が各国のサッカーの源流 となった。
サッカーの最初の国際大会はオリンピックである。
オリンピックでは1920年代にアマチュア条項が可決され、
最強のナショナルチームをオリンピックに送り込む事は不可能になり、
1930年に真のサッカー代表世界王者を決める大会として
FIFAワールドカップを開始した。
オリンピックはその後1984年にアマチュア条項が廃止され
1992年のバルセロナオリンピックで男子に関しては
23歳以下の選手に3人までのオーバーエイジ枠を加えた
チームを参加可能とするというルールが可決され現在も続いている。
世界各国のリーグ
- イングランドプレミアリーグ
- スペインリーガエスパニョーラ
- イタリアセリエA
- ドイツブンデスリーガ
- 日本Jリーグ
- 韓国Kリーグクラシック
など
サッカーの国際大会
- FIFAワールドカップ
- FIFAコンフェデレーションズカップ
- AFCアジアカップ
- UEFAEURO
- コパアメリカ
- アフリカネーションズカップ
- UEFAチャンピオンズリーグ
- コパリベルタドーレス
- CAFチャンピオンズリーグ
- CAFコンフェデレーションズカップ
- CAFスーパーカップ
など
サッカーの戦術
- トータルフットボール
- ポゼッションフットボール
- ムービングフットボール
- サイドアタック
- カウンターアタック
- カテナチオやマンツーマンディフェンス
- ゾーンディフェンス
- プレスディフェンス
- ラインディフェンス
- フォアチェックやリトリート
- ゾーンプレスやオフサイドトラップ
- パワープレイや3バックシステム
- スィーパーシステム
- ダブルボランチ
など
サッカーの技術
- キック
- ヘディング
- シュート
- ドリブル
- キープ
- ターン
- パス
- センタリング
- フィード
- トラップ
- フェイント
- ポストプレー
- スルー
- スルーパス
- スクリーン
- チェイシング
- ボディシェイプ
- チャージ
- ディレイ
- オフザボール
- オーバーラップ
- クリアやカバーリング
- ジョッキ