木本神社例大祭(木本祭り)2019は三重県熊野市木本町で開催
三重県熊野市木本町で木本神社例大祭(木本祭り)2019が
毎年10月五穀豊穣を祈り
2日間にかけて行われます。
(10月第2日曜日)
三重県の最南端に位置し、
目前に広がる太平洋・熊野三山
そんな大自然の中に小さな町
熊野市木本町
があります。
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木本神社例大祭(木本祭り)2019
木本神社例大祭(木本祭り)2019についてですよ!
三重県熊野市木本町
三重県熊野市木本町は、江戸時代に
紀州徳川家の本藩公領地として
奥熊野代官所がおかれており
熊野地方の中心地として栄えた街です。
木本神社は若一王子権現(天照大神を意味) といい
新田地区にあったものを
現在地に遷座したといわれてます。
木本神社例大祭(木本祭り)2019の歴史
木本祭りの歴史は、
慶長13年(1608年)の遷宮棟札が現存しており、
その頃から祭礼が行われていました。
その例大祭では町内の各地区から
様々な山車がだされ、木本の若者(木本奉仕委員)たちが担ぐ
“暴れみこし”の異名を持つ御神体が
鎮座する神輿が町内を練り歩きます。
暴れ神輿
暴れ神輿は総重量役1tあり
台車に乗せて町内を練り歩きます
基本的には台車に乗せ練り歩くのですが、
浜担ぎや各宿所では奉仕委員によって直接担がれます。
浜担ぎとは神輿が稲荷神社「御旅所」に
到着後台車から外され雄大な七里御浜で
熊野灘の荒波に神輿を浸け清めることを言います。
また各宿場では、供え物として酒が神輿に振りかけられ、
奉仕委員による伊勢音頭の歌声が
高らかに響き渡ります。
木本町の若者有志で結成される
木本奉仕委員会が神輿を担ぎ日本一の
清酒の量とまで言われるほどの酒を浴び
「チョーサヤ、チョーチョ」 の掛け声と共に
町を繰り出す姿は本当に圧巻です。
掛け声の語源は中国語の
“招財”を期限とするワッショイの古い形の言葉です。
六方行列とは
元和5年(1619年)に徳川家康の第10子頼宣 が
御三家の一つとして
55万5千石を領して紀州に入国しました。
紀州藩の本藩直轄地となった木本の住人が
その喜びを表したものが六方行列です。
六方行列とは
参勤交代・大名行列を
模倣したものと言われています。
六方とは天地東西南北の6方向に
大きく手を振りかざし足を強く踏みしめる所作から
歌舞伎の六法に由来しているとも言われています。
笛吹、歌い手に次いで挟み箱・熊毛・鳥毛・
手槍・立ち台・弓・鉄砲などの若い衆が
行列を組み顔には赤・白・青の隈取風の化粧をし
歌い手に合いの手の掛け声を入れて
華やかに六法を振る姿はこの木本祭りの花形です。
六法行列は市の無形民俗・文化財にも指定されています。
木本神社例大祭(木本祭り)2019の魅力
この祭りは、男同士の壮絶な
熱いバトルも魅力の一つです。
各宿場にて伊勢音頭を歌う時、
歌い手一人が拡声器を使い、
神輿の上に立ち高らかに歌い上げます。
その拡声器を取り合い我先に
歌い上げるというバトルも繰り広がります。
しかし、歌い手が決まり、
伊勢音頭の歌いだしが始まると、奉仕委員の若い衆は
今まで喧嘩していたのがウソのように
肩を組み神輿をたたき合いの手を繰り広げます。
その姿またたまらなく勇敢で、
仲間意識の強さが垣間見え小さい町でありながらも
地元を盛り上げていこうとする
若者たちの姿がとても素晴らしく見えます。
三重県熊野市の若者離れ
熊野市は本当に限界集落区が集まった市です。
人口も16,000人と374.3K㎡と
㎡当たり一人もいない状況の町 です。
大自然あふれ農作物・水産業はどの
県にも負けないくらいおいしいものばかりです。
しかし、若者たちはみな都会へ出ていき
実際には若者はほとんどいない状況です。
五穀豊穣を祈る祭りですが、
実際には次に担う生産者がいま全然いてない状況で
残っている人たちで何とか行っています。
この祭りを絶やさぬようにみなここに
とどまるように頑張っています。
ぜひ一度、この祭りを見てください。
まとめ
いかかでしたか?
- 今回は「木本神社例大祭(木本祭り)2019の歴史」について紹介させていただきました。
- 暴れ神輿
- 六方行列とは
- 木本神社例大祭(木本祭り)2019の魅力
- 三重県熊野市の若者離れ